7つの習慣

今日は読書

スタバで第2部の途中まで読んだ

とくに印象的なのが、自分が主体性を持つという下りの部分


あるセミナーで主体性について講義していた時、ある男性が前に出てきて
こう言いだした。

「先生のおっしゃっていることはよく分かるんですが、人によって状況は
すべて違うんですよ。例えば、私の結婚を考えていただけますか。不安で
たまりませんよ。妻と私は昔のような気持ちがもうないんです。私は妻を
愛していないし、妻も私のことなんか愛していません。こんな状態で何が
できるって言うんですか」

「愛する気持ちをもう失ってしまったんですね」と訊くと、

「そうです」と彼は答え、「子供が三人もいるので、とても不安なんです。
どうしたらいいのでしょうか」と続けた。

「奥さんを愛しなさい」と私は返事した。

「ですから、今言ったでしょう。その気持ちはもうないって」

「だから、彼女を愛しなさい」

「先生は分かっていない。愛という気持ちはもうないんです」

「だったら、奥さんを愛すればいいんです。そうした気持ちがないのだった
ら、それは奥さんを愛するとても良い理由になりますよ」

「でも、愛情を感じないとき、どうやって愛すればいいんですか」

  、、、、、、、
「愛は動詞である。 愛という気持ちは、愛という行動の結果にすぎない。
だから奥さんを愛しなさい。奥さんに奉仕をしなさい。犠牲を払いなさい。
彼女の話を聴いてあげなさい。感情を理解してあげなさい。感謝を表しな
さい。奥さんを肯定しなさい。そうしてみては、いかがですか」

<途中略>

主体的な人にとって、愛は動詞である。愛は具体的な行動である。母親が
新しく子供を世に送り出すのと同じように犠牲を払うこと、自分自身を捧
げることである。愛を勉強したければ、他人のために(特にそれに報いてく
れない相手のために)犠牲を払う人たちを見ると良い。 

<途中略> 
愛するという気持ちを失っているとすれば、それを取り返すことができるのだ。

もうとにかくこの文章には、参った。自分がまさに今この状況だからだ。
特に、「取り返す事が出来る」と言いきっているところが素晴らしい。
確かに取り返す事が出来るのだろう。でもやっぱり心をそのような気持ちになるところまでもっていくのは難しいんだよな。 凡人だから。。。。。

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